広島の旅 その1
9月12日の広島県呉市での青年会議所の
大会でOMOIYARIのうたを合唱するため
前日に、広島入りしました。
飛行機の都合上、朝の早い便になってしまい
お陰さまで、呉での夜の懇親会まで
随分と時間がありまして、
初めて、広島の平和記念公園や
原爆資料館をゆっくり、周ることができました。
この日も、とんでもない残暑でしたので
8月6日に行われた、記念式典に
年老いた被爆者の方がたが
足を運ばれたことは、さぞかし大変なことだったろうと
お察しいたします。
10年ほど前、ルクプル時代
広島のテレビのお仕事で
原爆ドームを前に生放送で
「From a Distance」を歌ったことがありました。
きちんと音のチェックもしていたはずなのに
演奏直前に楽器の音が急に
出なくなりました。
いざとなったらアカペラだ
と覚悟しました・・・が
出番寸前にいきなり、音が出ました。
そんな、不思議なことがあったのを
思い出しました。
たくさんの千羽鶴が、今日も届けられています。
人々の平和を願う気持ちが
目で見えるようですね。
私は日頃、ホラー映画や
人が残虐に殺されるシーンのあるもの、
またそういうニュースも見られません。
自分も痛くなったり、苦しくなったりしてしまいます。
正直、原爆資料館で直視できないものもありました。
ずっと、その中にいるととても苦しくなってしまいます。
でも、これは映画ではなく事実なんだ・・・
目をそらさないで、見なくては
知らなくては・・・・そんな自問自答のくり返し
・・・・けれど、やっぱり難しかったです。
でも、どれだけ悲惨なことだったか
苦しさから感じられた気がします。
当時のアメリカの核実験の映像が
ビデオで流れていました。
鎖に繋がれた犬が爆風の中
逃げることが出来ず、必死で暴れている映像でした。
何倍もの威力の核爆弾で
これと同じことを、広島や長崎で
人間が人間にしたのです。
やっている方も、何かに取り憑かれて
気が狂っているとしか、思えません。
このような狂気で異常な世界の中で、
何が正常かを、きちっと見極めていく
指針を私たちは持っていなくてはいけませんね。
それは、愚かな歴史から唯一
学べることだと思いました。
もうひとつ、心に残ったことは
当時、強制的に労働に来ていた
朝鮮や台湾など、たくさんの外国人も
原爆に遭っていたということです。
異国で、誰にもわかられず
死んで行った方を思った時
知らなかったことだけに
また、胸が痛みました。
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コメント
日本人として、
世界平和をもっともっと声を大にして言わないといけないのに、
なんだか本当に平和ボケですね(笑)。
60年前なんて本当についこの間ですのに...
今日とあるTV番組で仏蘭西の田舎街でした。
「ここはいい街ですか?」
の質問に住民のおじいちゃまが、
「街の人の幸せそうな顔を見てご覧よ、
悲しげな顔の人がいるかい?」
と応えていらして...
色々考えさせられたのでした。
恵美さん、
いつも素敵なブログをありがとうございます。
投稿: 椎名由紀 | 2010年9月19日 (日) 15時48分
しーな先生、お久ぶりです~
ちょっくら、重たい話題だったかな?
・・・・と思っていましたが
反応してくれて嬉しゅうございます。
しーな先生の、呼吸や田んぼ等で
世の中を善い方向へ変えて行こうとする
素晴らしい活動、頭が下がります。
もうすぐ発売になる本も楽しみにしてますよ~!
投稿: emi | 2010年9月19日 (日) 23時06分