気仙沼避難所コンサート
ちょっと、更新が空いてしまいましたが
4日に気仙沼へ行って来ました。
中越地震を経験した、長岡青年会議所
の方達が、当時たくさんの支援を戴いた
お返しとして、定期的に気仙沼で
焚き出しなど、様々な支援をしてきました。
その一つとして
音楽をお届けしたいという事で
行かせて戴きました。
気仙沼には、デビュー当時
お世話になった方達がいるので
どうしても、行きたいという気持ちが強かったのです。
3月11日、気仙沼の津波と火災の
惨状を見たときには、街すべてが無くなってしまったんではないか・・・とか
お世話になった方達の安否など
本当に不安でした。
その後様々な安否情報を探して
無事でいることがわかり、ひとまず安心していました。
そんな折、今回気仙沼に行けることになって
本当に、嬉しかったです。
この日は屋外のコンサートでしたが
日焼けするかも・・・っていうくらい
とってもいいお天気。
みなさんも地べたに座ってゆったりと聞いてくれました。
あまりにもゆったりした午後だったので
のんびりと・・・1時間以上はゆうにやってしまいました。
終了後、自然発生的にサイン会になりました。
色紙があるわけではないので
メモ帳だったり、ハンカチだったり
書類の裏だったり、中には携帯充電機だったり。
以前気仙沼でライブをした時に
いらしてくれたお客様もたくさん来てくださいました。
ひだまりの詩のCDを持って来られた人もいました。
「随分、ジャケット写真が色あせしているね~
でも、無事だったんだ~」
と、嬉しくなりました。
「仮設住宅があたって、片づけしていたんだけど
途中で止めて、来ました。来てよかった~」
と言ってくれた人や
「恵美さん、私被災しなかったのよ!お店も大丈夫だったから
今日、洋服持って来たわよ」って洋品店の方から
お洋服を戴いちゃいました(>_<)
まさか、被災地で洋服を戴くなんて思いもしなかったです(笑)
そして、会いたかったみなさんに再会できました。
いや~本当に嬉しかったですねぇ
あの惨状の中、無事でいてくれたこと
本当に良かった。
私のお隣の男性が尾形和優さん
尾形さんは地元実業家であり
ミュージシャンであり
若いアーティストを何人もお世話されています。
DATE FM(仙台)では自らのスポンサー番組を持っていて
ルクプルもデビュー当時から、ゲストに呼んでもらったり
631か所の有線放送所を車で廻っていた時は
知りあいのない、東北の地で
不安になっていた気持ちを
温かい心遣いと、労いの御馳走で吹き飛ばしてくれました。
お身内に、まだ行方不明の方がいたり
御自分も避難所におられるのに
子供たちの心のケア、読み聞かせなどで
あちらこちら奔走されている日々だそうで
本当に頭が下がります。
コンサートでは、飛び入りゲストで歌って戴きましたよ。
そしてひとつ前の写真の
女性お2人は、坂本レコード店の
おかあさまと雅子ちゃん
気仙沼のライブでのサイン即売会
の時は、いつも坂本レコードさんが
販売してくれていました。
しかし震災でお店もお家も無くなってしまったそうです
コンサートが終わって
おかあさまが
「今日久しぶりに聴いて、音楽の力って本当に大切なんだな
と思いましたよ。もうお店どうしようかと思っていたけど
また、再開しようって思えました」
って言って下さいました。
私にとっては恩返しのつもりで
今回気仙沼に来させて戴きました。
まだまだ、足りないし
「こんな事でいいのだろうか?」
心の中で常に自問自答があります。
でもおかあさまの言葉は、逆に力をくれました。
大事な大事なお土産を戴きました。
ありがとうございます。
今は、仙台の親戚の方へ避難されていて
お店再開までは、いくつものハードルを超えなくては
いけないでしょうが、どうぞお体を大切に
一歩一歩、進んで行って欲しいと思いました。
お一人、お一人の抱えている事情は
かなりお辛い状態なのにも拘わらず
あまりにもたくさんの物を失ってしまった
人間の底力でしょうか?みなさん明るくって
たくましくも感じました。
ただ、人はいつも強いだけではありません。
時には、耐えていることや辛さを
心から吐き出してしまうことも必要でしょう。
そのやり方も時期も人それぞれでしょうが
そんな時、音楽というのは大きな力になる事を
今日も教えてもらった気がします。
歌っている本人って、音楽の力に鈍感なところがあるのです(私だけかな?)
「これでいいのだろうか?」
そんな思いの繰り返しです。
そう思いながらも、またどこかへ歌いに行くわけですね(笑)
気仙沼へも、まだまだ恩返し足りてないし。
また、行きたいです。
気仙沼のみなさん、長岡JCの皆さん
本当にありがとうございました!
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コメント
お疲れ様です
お身体、ご自愛下さい
投稿: pecha-hage | 2011年6月11日 (土) 14時54分
こんばんわ
4日、気仙沼にわざわざ来てくださりありがとうございました
総合体育館で写真の裏と写真アルバムの表紙の裏にサインを貰った者です
サインゎ消えないように幅の広いセロハンテープ貼ってます
実ゎ私の家族で働いているのゎ私だけなんです
おばあちゃんとおじいちゃんゎ定年過ぎているので元々働いていなかったのですが、おじ、母、弟の会社ゎ津波に破壊され解雇になりました。三人の車も流されました。弟ゎもうすぐで入社一年になる所でした。車も新車で一年乗ってません
震災の日、弟だけが帰ってこれず、次の日の朝に歩いて帰ってきました。元気な声を聞いてみんな涙流して喜びました。今でも思い出すと涙が出ます…
彼氏も震災の日の夜に来てくれて、ホントに安心しました。彼氏の家ゎ流されましたが、頑張って働いてます
今日で3カ月。
まだ夢のような感じがしていますが、前向きに頑張って生きていこうと思います。
4月、5月に弟と私が誕生日を迎えました。
友達がくれたメェルの文章の中に「こんなときだから、誕生日を迎えられたことに感謝しなきゃだね」とありました。ホントに23歳の誕生日を迎えられた事幸せでした。
長くなってしまいましたが、藤田サンが来てくれた事でホントに元気が出ました(`・ω・´)b
本当にありがとうございました!!一緒に撮った写真とサイン宝物です
投稿: ちびぼにょ | 2011年6月11日 (土) 21時12分
pecha-hageさん
ありがとうございます!
投稿: emi | 2011年6月15日 (水) 15時12分
ちびぽにょさん
コンサート来てくれてありがとうございました!
御家族のみなさん、大変でしたね。
でも弟さんが無事で帰って来た時は
どれだけ、ほっとしたことでしょう。
そして、優しい彼がいて心強かったですね。
こんな大変な状況でも
お誕生日を迎えられたこと、感謝ですね。
辛いこと、苦しいことたくさんあるでしょうが
まだ、まだお若いです
これからの人生、素敵なこともたくさん
待っていると思いますから
どうぞ、くじけずに日々歩んで下さいね。
何も力になれませんが、
また、気仙沼で歌いにいけたら
是非、お会いできますように。
投稿: emi | 2011年6月15日 (水) 15時30分
早く以前の平穏が取り戻されることを祈っています。
私は地震後に仕事の勤務終了で東北の故郷に
帰りましたが、ハローワークの話では雇用は
今がいちばん悪いとのこと…どの方面の方にも
がんばっていただきたいです!
投稿: littlefish | 2011年6月16日 (木) 01時05分
ちびぽにょさんへ
私は気仙沼に行った事はありませんが、
今回の地震の映像で気仙沼の町を見て、
心がえぐられる気持ちでした。
ご家族がご無事で良かったですね。
いつか復興した気仙沼の地を訪れてみたいと思います。
お体たいせつに、頑張って下さい。
投稿: ルル | 2011年6月16日 (木) 22時43分