1番好きな東京の繁華街というと、
私は銀座と答えます。
幼少の頃、よく父に連れて行ってもらいました。
今思えば、子供にしては贅沢な思いをさせてくれたように思います。
そう聴くとお金持ちのお嬢様だったんですね…
と言われそうですが、
銀座から電車で1時間掛かる、
埼玉県に隣接する清瀬という町の、
6帖ひと間共同トイレ、風呂なしのアパートに住み、
決して…いや、全く裕福な生活では有りませんでした。
ただ父も母もハイカラな(言葉古いですかね)事が好きで、
銀座に行くが楽しみだったのでしょう。
銀座の思い出は沢山あるのですが、
最近思い出したのが、
「富士アイス」というレストランの事。
必ずここでお食事をして帰ったのですが、
私の洋食の原体験はここにある気がします。
今も何処かで営業していないのかしら?
ふと思いつきネットで調べたら、
残念ながら何軒かあった店舗は全て無さそうでした。
しかし驚いたのは、
あの店は永井荷風がよく通っていて、
その本にも記されているという、
有名なお店だったという事。
あるサイトから引用させて戴きます。
↓
富士アイスは大正十三年創業、
銀座におけるアメリカンスタイルの一品料理の開祖、
健康料理等を発案して喝采を博した。
その名の如くアイスクリームは独特の好味を以って
銀座マンに長年親しまれている。
四丁目教文館ビル地階のほか
戦後は有楽町スバル座裏喫茶店街にも進出し、
界隈ビル街の人々のよき憩いの喫茶店となっている。
私が行っていたのは有楽町側だったと記憶しています。
父は勝手に私のものも注文し、
必ずスパゲティミートソースでした。
なぜかナポリタンは食べさせてくれなかった。
このミートソースは、
麺を玉ねぎやピーマンと炒めて、
その上に特製のミートソースがかかっている。
当時は美味しいと思って食べていたけど、
今食べたらどうなんでしょう?
このタイプはたま〜に、
昔ながらの喫茶店でお見かけするくらいですね。
父は大概グラタンかビーフシチュー。
これを私も少し貰います。
グラタンは熱くて、熱くて、
口の中がてんやわんや…
毎回皮がべろっと剥けました。
だから子供が頼んじゃいけないんだ…
と勝手に思い込んでいて、
実はミートソースより魅力的だったのですが、
自分から注文出来なかったのです。
あのグラタンの味…今は出会わないな…
ホワイトソースがサラっとしていて、
現在の主流がクリーム色だとすると
もっと白かったように思いますし、
上の焦げの部分も黒に近い焦げ茶だったような。
材料は今の方がいいのでしょうが、
当時のチープな材料でないと
あの味にならないのかな〜?
そしてデザートはソフトクリーム。
専用のスタンドに乗って運ばれて来ます。
アイスのコーンはウエハースタイプ。
それも中が梁のある二重構造。
この隙間にアイスが入り込むのが、
たまらなくいいのだ。
私は「日世コーン」が開発した、
日本独自のウエハースコーンを、
この富士アイスで刷り込まれているので、
ノスタルジーを持って今も好きなんですよね。
「日世コーン」と言えばこの子達ね (*^^*)
この「富士アイス」の記憶は、
子供の頃の曖昧な記憶ですから、
全てあっているか確かめる術もないのですが、
当時よく通った…などという人生の先輩がいらしたら、
是非お話しを聞いてみたい。
当時に比べ銀座はリーズナブルなお店も増えて、
敷居も低くなった気がします。
それはそれでいいのですが、
でも子供の私がカッコいいな…
と感じてた、あの街の雰囲気は
いつまでも何処かに残っていて欲しい。
人が街を育てる…
街が人を育てる…
両方なのかもしれない。
今のところは到底育てる人にはなれないので
また銀座に通い学ばせて戴きます。
…てなわけで取り留めのない事を書いて、
寝るまえブログも今日が最終日になりました。
おむすび食堂が無くなるわけではありません。
通常の開店となりますが、
またお立寄り下さい。
今日も一日ありがとう。
今夜もごゆるりと夢の世界へ。
おやすみなさい( ´ ▽ ` )ノ
✳︎ 追伸
本日はNack5
Age Free Music ! 出演です。
3/12 24:00〜25:00 放送
(私の出番は24:05頃〜)
夜更かしさんは聴いてね。
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