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マリーゴールドの橋へ

少しの刺激…に反応して戴いたようですね(笑)
ありがとうございます。

4月2日は告別式のため静岡へ向かいました。
知人のお嬢様で20歳目前でした。
ご家族の事を思うととても辛い気持ちでした。

その夜は1月に亡くなった、
レコーディングエンジニア 赤川新一さんの
お別れ会でした。

Le Coupleのデビューシングルで初めてお仕事をして、
その後ファースト、セカンドアルバムの録音のため
ロスとパリへ一緒に旅をした思い出もあり、
色んな事が走馬灯のように思い出されました。
私より2歳年上なので、
まだまだ現役でやって行かれたはずなのに、
とても残念です。

1日に2つのお別れに立ち合う事は、
そうある事ではありません。

年々、自分も歳を取る分
お別れも増えて来て、
人が生きて行く事や、
死を迎える事について、
否応なしに考える機会も増えます。

人が旅立つ事はとても寂しいですが、
不幸な事とは思いたくありません。
だって100年後には今の人はほとんど
この世に居ないのですから。
逆に死なない人はいないわけです。


だから死をもって悲しい…という感情だけでは終わらせたくない。
その人の生きて来た道を祝福したい。


今はあちらとこちらの世界に別れているけど、
そのうち知合いはあちらにいる人ばっかりになる日が来ます。
自分も含めて。

それまでは、残されたこちらの住人も
生きる事にフォーカスして
一生懸命生きて行きたいものですね。


先日観た映画、リメンバー・ミーのあるシーンを想い浮かべます。
あの世へ向かう時にマリーゴールドの橋を渡るのです。
それは、それは綺麗な橋。

故人があの素敵な橋を渡り、
あちらでまた好きな事の続きを楽しんでいる事を、
願いたいと思います。

こうやって刺激を受ける出来事により、
健やかで穏やかな日々の
有難さにまた気づき、
今日もまた手を合わせる事となります。

感謝 (^-^)


Image

マリーゴールドの橋。


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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

今年の桜は、もうほぼ散ってしまいましたが、春になれば必ず咲いて、私たちの心をなごませてくれます。
でも、自分の人生であと何回、満開の桜が見られるのでしょう。そんなことを考えるとちょっと悲しいですが、長短はあっても、せいぜい100年の命。恵美さんがおっしゃるとおり、死なない人はいませんから。
20年ほど前、法事で伯父さんが「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」という言葉を教えてくれました。
花は毎年変わらずに咲くけれど、人は世を去っていくから、顔ぶれは毎年異なるという意味です。
その伯父さんを含め、その場にいた親戚の半分はもう鬼籍に入っています…。

投稿: きょうのすけくまちゃん | 2018年4月 4日 (水) 23時24分

その人の生きて来た道を祝福したい、っていいなあ。
死=負のイメージが強いから、その方の、それまでの人生が全部悲しいものになってしまうみたいで。

だから旅立ちの時には、恵美さんのような気持ちで送ってあげられたら、素晴らしいはなむけになると思えました。

投稿: すずめ食堂 | 2018年4月 5日 (木) 23時00分

井上尭之さんが堺正章さんへ提供した曲に『旧友』という作品があります。堺さんがライブで披露していないというので、井上尭之さんが自分で歌うようになりました。
ライブで歌った直後に
「これを歌うと、大ちゃん(井上大輔さん)を思いだすんだよ」
と語るのが、メジャー活動時期の、お決まりの言葉でした。
ところが、引退後インディーズ活動での、今年三月に西荻窪でのワンマンライブで『旧友』を涙ぐみながら歌った直後に
「ムッシュが亡くなったことを思って泣いちゃったよ。昔は、歌うと大ちゃんを思いだしてたんだけどね」
とおっしゃいました。

(これは感傷的なエピソードじゃないのです。僕の立場として、詳しくは説明いたしません...)

投稿: ロッシェル | 2018年4月 7日 (土) 06時52分

”その人の生きて来た道を祝福したい” 数日前に親族の告別式に参列しました。友人の送辞に同じような言葉がありました。”若くして主人と死別し母娘での長い道のりを経て後、 孫を抱けて、曾孫まで抱く事が出来た貴方は胸を張ってあちらの世界でご主人と笑顔で再会して下さい”、、  私も笑顔でマリーゴールドの橋を渡り妻と再会したいものです(;ω;)

投稿: Blue Moon | 2018年4月 8日 (日) 18時27分

「その人の生きてきた人生を祝福したい」

アプローチは少し違いますが
♪ほころびの頃 にも
そんな思いを書きました。
大切な存在を失って、
一旦はどん底な気持ちになっても
すべてを悲しみの色だけに染めたくはない。
思い出までもが悲しみ色に染まってしまうようで。
それは一緒に過ごしてきた時間を、
否定してるみたいになってしまいそうだな、
と感じたからです。

生まれた時に祝福を受けるように、
人生を閉じる時にも、
また祝福を受けてもいいような…
(捉え方によっては批判されるかもしれませんが)
そう思うと悲しみも救われる気がします。

マリーゴールドの橋、
虹の橋
三途の河…

それぞれ言われかたがありますが、
会いたい人にまた再会出来るといいですね(^.^)

投稿: emi | 2018年4月11日 (水) 11時25分

ジャケットのイラスト素敵ですね

投稿: エリー | 2018年4月20日 (金) 19時43分

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